出張ホストを呼んで良かった!理由ベスト3

出張ホストを呼んで良かった!【3つ】の理由

その①忘れてたドキドキが味わえる

お金でドキドキが買えるというのは、良いことです。

人間、年を取っていくと、あらゆるものに縛られていくものです。

親としての顔。社会人としての顔。

体裁、建前、世間体。

知らず知らずのうちに、いろんな枷を背負いこみ、たとえ出会いがあったとしても、心のどこかでブレーキがかかってしまうものです。

そもそも、新しい出会いなんか滅多にありません。

無責任にひとりの女として、カッコいい男に対してドキドキする。

いくらかお金を払えば、そんな夢が実現するというのは、私にとってはありがたい事です。

最初の頃は発見の連続

「こんなにウブな所がまだ自分にあったんだ」

「歳も考えず、こんなこと言えちゃった」

最初のころは、それこそ新しいオモチャを与えてもらった子供です。

調子に乗っていろいろな自分を出して、その度に自分自身で驚きます。

こんな側面が、私にまだ残っていてのか!と。

年の功で、どんな修羅場にも動じずに対処してきた百戦錬磨のオバさんが、目の前の男子1人に対して、モジモジして言葉が出てこない。

想像するだけで気持ち悪い絵面ですが…(笑)まあ何といえば良いか、非常に悪くないものです。

か弱い女としての自分を思い出すというのですかね。

もしかすると、それは自分自身がその場限りで無意識の内に演じている姿なのかもしれません。

でも、だとしても、それならそれで楽しいものですよ。

好きな男子の前で猫を被るのだって、言ってみれば演技みたいなものです。

10代、20代の頃って、そうやってドキドキしてたなあ、って思い出すんです。

本当の自分を知られたら困るなあ、背伸びしてるけど、嫌われたくないなあ。

そんな風にして、よくドキドキしてました。

社会に出て、家庭を持って、子供ができて、ドキドキする気持ちなんかどこかにおき忘れて、気が付いたらありふれたオバサンになってた。

でも、限られた時間だけ女子に戻れるとしたら、私はそれはとてもありがたいなあと思えます。

お金でそれを買えるというのは、私にとっては、すごく嬉しいことです。

その②性欲が「正しく」満たされる

出張ホストをはじめとする女性用風俗の多くは、オトナ向けのサービスを展開してます。

要するに、お互い裸になって気持ちいいことをしてもらえるわけですね。

このことが、サービスとしてお金で買えるというのも、私にとってはとてもありがたいことです。

自分に合わせてもらうことに対して、罪悪感を感じずに済む

女と男が肌を合わせるということは、普通は、そこに至るまでの人間関係があるばすなんですね。

私は、その人間関係が気になって、これまでずっと、いつもいつも遠慮をしてきた女でした。

要するに、ベッドでの一件が原因で相手に嫌われる様なことは、絶対イヤだったんです。

相手にもっと近づきたくて、そういうことをしている筈なのに、心のどこかで、相手の期待に応えないと嫌われるかも、ということがプレッシャーになっていた。

キスもそこそこに、言われるがままにフェラ。一生懸命相手を気持ちよくして、挿入されて、終われば、気持ち良かったよ、という。

いつも相手に100%合わせるのが、私にとってのセックスでした。そうしないと、不安だった。そもそも、女ってそういうもんだと思ってた。

それが、そういう世界ばかりじゃない、という事に気がついたのも、出張ホストを利用する様になってからです。

私は、彼にお金を払ってここにいてもらっている。

そして、彼のお仕事は、私を気持ちよくしてくれることだ。

であれば、私が自分の要望を彼に伝えないことは、彼にとって仕事がやりづらいことになる。それは、私のすべきことではない。

だから、してもらいたいことは、素直に言うようにしよう。

おかしな理屈かもしれませんが、こんな感じの理由で、何故だか私はとても開放的な気持ちで、相手との行為に没頭することができます。

もっとこうしてもらいたい。こういうことをためしてみたい。

そういうことを、まったく遠慮せずに、積極的な気持ちでお願いできるのは、きっと、「それ専門の」相手だからだと思います。

その③人間関係や自分自身についての理解が進化する

出張ホスト遊びをはじめて1番よかったと思える私の理由は、じつはこれです。

はっきり言って、どんな社会経験やどんな本よりも、自分自身を学ぶということの手助けになりました。

「人間関係を、ましてや、男女の色恋を金銭で買う様な爛れた関係から何が学べるものか」という厳しい意見もあるかもしれません。

でも、私にとっては良くも悪くも目がさめることがたくさんありました。

愛に正義も悪も存在しない

私は昔から純愛に対する期待が大きい女でした。

良い愛。良い相手。良い恋愛。良い結婚。

恋愛や愛について、そういう究極不滅の存在がどこかにあるんだと、信じて疑わなかったのです。

「正しい愛を掴むのが試練なのだ。それさえ掴めば、あとは自然と万事うまくいくはずだ」と、そう思い込んでいた節が、今思えば昔は多分にありました。

つまり逆を言えば、そうじゃない愛の形は全部「ダメな愛」、B級なんだ、という考えが頭のどこかに常にあったのです。

それこそ、浮気、不倫なんかの様な打算的な関係はもちろん、多分、出張ホストみたいな色恋遊びも、当時知っていれば、当然「ダメな愛」に含まれていたと思います。

でも、現実の私は、結果として、そんな「ダメな愛」をお金で買う様な大人になってしまいました。

「純愛」という理想がありながら、なぜそうなってしまったのか。それを私自身の言葉で簡潔に言い表すなら、「究極不滅の愛なんか実在しないから」ということに、ようやく気が付いたから、ということになります。

つまり、愛を獲得するということは、受験や就活と同じなんですね。受験勉強中や就活中は、とにかく入りさえすれば安泰だと思っているけれど、じつはそんなこと全然ない。むしろ、入学、入社してからが、本当の勝負だったりします。

愛も、それとまったく同じなんだ、ということに、この年になってようやく気が付きはじめたのです。

愛への幻想を振り払い、人間関係のバランス感を養えた

愛を理想化し過ぎた結果、私の恋愛観念はかなりナイーブなものになっていたと今だからこそ言えます。

実際のところ、恋愛関係に限らず、この世の人間関係は打算と妥協の連続です。

でも、私は正義の愛や、人間関係の理想形があると思っていた。

しかも、拗らせたことに、自分では、それを掴むことはそんなに高いハードルではないと思ってました。

みんな普通に実現していること。望んでいるものは、ささやかなものなんだ。

「正しい相手さえ掴めば、ふつうに手に入るべきものなんだ」と。

でも、それは勘違いだと気付きました。

たとえば、それまでの私は、彼氏や夫の不満を他所でまくしたてるような女にはなりたくない、理解できないし、そんなくらいなら恋愛なんかしない、と思ってました。

でも、よく考えてみれば、現実の恋愛なんてそんなものじゃありませんか。

年がら年中ラブラブで、死ぬまで何十年も浮気の心配も問題の一つもなく、やっていけるのはおとぎ話の中のお姫様だけです。

それだからこそ、みんな文句を言って、いろいろ発散しながらも、最後には仏頂面でため息をつきながら家に帰って頑張ってる。

それを、「ダメな愛」だと判断していた自分が、浅はかだったと、出張ホストを利用しだしてから、気がついたのです。

普通の人は、誰もパーフェクトな結婚生活を送ってなんかいない。そんな無菌状態の空想を「普通」だと思い続けること自体、随分子供だったな、と段々思いはじめたのです。

ささやかな理想は、努力の賜物だった

出張ホストに来てもらうと(いい人を呼べば)、本当に夢を見させてもらえます。

まさに、自分が思い描いた理想に近い状況なのです。

イケメンで、目が合えばいつもさり気ない笑顔をふりまいてくれる。

私のとりとめもない話を聞いてくれて、そつなく地に足のついた返答をくれる。

ムードを大切にしてくれて、触れるだけのキスが上手。

気持ちよくしてくれた後は、身体をいたわって、やさしく側にいてくれる。

連絡が無いことの心配なんかしなくても、呼べばまた必ず来てくれる。時間に遅れる事もない。

そんな彼と会ってウットリしていると、思うのです。

これは夢だ、と。

リアルな恋愛関係でこれを期待するのは無理だ、と気付くのです。

能力ある男性が私をお客さんとして扱ってくれて、はじめてバランスがとれて実現する関係なんだと、思いはじめるわけです。

ちょっと高いレストランに行って、椅子を引いてもらったり、上着の世話をしてもらう有難さに似てますよね。レストランのボーイにはそういうことをする能力があるけど、もし彼に彼女がいたとして、日常生活で彼女が席に着くたびにそういうことをしているわけがない。

もし私が仮に出張ホストとお金抜きの関係で付き合えたとしても、それはサービス抜きの関係なので、これまでと同じ状況にはならないと思います。

サービスだからこそ、「100%の理想」が成立するのです。

一緒に住めば、くだらない事でケンカは起こるし、相手に対する自分の中での希少価値も下がってくる。

トイレのフタがどーだ、という様な本当に下らない事で、罰当たりにも、こんなイケメンと揉める様になるんです、きっと(笑)

そういうことを想像した結果、「相手さえちゃんと選べば、ささやかな理想はふつうに手に入るはずだ」という私の望みは、単なる幻想だったな、と思ったのです。

私は、多分、どんな相手でも、ダメだと思いました。

こまごまとした下世話な痴話喧嘩をいくつも乗り越えて、その度にどんどん理想のバーが下がっていく。それでも容赦なく起こる人生の問題を二人三脚でなりふり構わず乗り越ながら、砂だらけでも、最後には相手を「愛してる」と思ったり言ったりする自信が、私には、ない。

絶対に途中で我慢できずにタスキを投げ出すと思うし、実際に、過去に投げ出してしまった。

自分が努力をすることを考えもせず、「いやー、理想と違うな。出だしで失敗だったんだろうなこれは。もうムリ」となってしまうのが、私なのです。

そういう性分なんだと気が付きました。多分、今更変わりもしないでしょう。

そういう私が、「ささやかな愛」とか言っていたと思うと、もうそれは、おかどちがいも甚だしいな、ということが、よく分かったのです。早い話が、自分には性にあってなかったんです。普通の恋愛を続けていくことが。

わたしは、時々お金で買える「100%の理想」があれば、その方がいい。

それが、自分という女なんだ、という事に、こんなオバサンの歳になって、ようやく気がつくことができめした。

出張ホストには、個人的にはこの点を一番感謝しています。